書籍「小春のあしあと」著者、長江さん「お皿を割っても“魔法のことば”を唱えよう
更新日:2021年7月7日

皿洗いの思い出
我が家の夕食タイムはたいてい19時半ごろ。一家揃って食べます。
1品くらいは息子と娘の好物にして、あとはスパイスの効いた大人の味。それをつまみに夫婦でゆっくり晩酌を楽しみます。
さっさと食べ終わった息子は、いつものように自分の食器を流しに持っていきました。
パリーン、ガチャン!
見なくても分かます。瀬戸物の茶碗を割ったのでしょう。
おっちょこちょいで、平衡感覚と距離感覚が若干弱い息子らしい「しでかし」。
母は怒らない、と分かっているのでしょう。
「あっ、落ちた!」と悪びれもない息子。
「落ちたのではなく、落としたでしょ?」とツッコミを入れる私。
「いや、落ちた、ニュートンのせいだ」と息子。
「ニュートンに濡れ衣を着せないで。引力のせいだろうが」
「そうそう! だから、ぼくのせいじゃない」
「いいから、早く片付けなさい!」
へらへらしながら、息子は割れ茶碗を片付けました。
私は小学生の頃から、家族の食器を洗うのが「仕事」でした。
洗い終わった茶碗やお皿を重ねて食器棚に運ぶのですが、ある日、手元のバランスに気を取られて、足元が何かにつまづいて転び、体ごと食器を地面に投げ出したことがありました。
不注意で大切な食器を割るなんて許さん!と父親の雷が落ち、棒が降ってきました。真っ先に心配したのは私の怪我ではなく、割れた茶碗のほう。うちは貧乏でしたから、怒りたい親の気持ちも分かっていました。
大学生の時、はじめてのアルバイトが飲食店の食器洗いでした。繁忙時にはスピード重視で、どんなに注意しても、うっかり手が滑ることがありました。
すると、オーナーは「怪我しなかったですか。次は気を付けてくださいね」と言うだけでした。割った本人は弁償覚悟でしたので、あっさり許してもらえた感覚が新鮮で、とてもありがたかったです。
また別の店では、天ぷら揚げを任されました。食器洗いは中国人留学生が担当していました。とても手際のいい女性でしたが、それでも繁忙時には食器の山が高くなる一方。私もヘルプに入るうちにすっかり仲良くなりました。
ある日、彼女はうっかりコップを割り、運悪くそれで手首を深く切ってしまいました。彼女の手首から溢れる血で震えあがった私。「大丈夫よ、心配しないで」と逆に私を慰める彼女。
その日はさすがに手当を済まして早めに上がった彼女ですが、その後もシフトを休まず、包帯を巻いた手首に長めのゴム手袋をつけて、食器洗いを続けていました。私と同じように必死に学費を稼がなければならない、そんな留学生の「悲哀」を見てしまった気持ちでした。

「歳歳平安」をもじって「砕砕平安」
それ以来、自分を含め、誰が食器を割っても「責めない」と決めました。大切な食器が割れてもったいない、もっと注意すればよかったのに、と思う気持ちを鎮める「魔法」の中国語を唱えることにしました。
スーイ スーイ ピンアン!
スーイ スーイ ピンアン!
この「魔法」の中国語を漢字にすると「歳歳平安」となります。お正月に「無事に年を重ね、いつも平安でいられるように」と祈り、また平安でいられることに感謝を捧げることばです。実は粉々に割れることを中国語では「砕」と言って「歳」と同じく「スーイ」と発音します。「歳歳平安」をもじって「砕砕平安」という訳です。
スーイ スーイ ピンアン!
と口にする人も聞いている人も、縁起のいい「歳歳平安」を思い浮かべるでしょう。
そして「砕砕平安」という字をあてた「ことば遊び」であることも暗黙の了解です。つまり、「歳歳平安」という言霊の力で「砕」(割れる)という現象の縁起悪さを打ち消し、平安でいられるようにと願って唱えるのです。
ふと、思い出したのが、日本のアニメ「夏目友人帳」に出てくる話です。
妖化した「欠け茶碗」が主人公の夏目少年の家の軒下に住みつきました。それは、家に災厄が訪れそうになると知らせたり、災厄を引き受けたりするものだと、夏目は教わりました。
ある日、夏目は邪悪な妖に噛まれたのに不思議と怪我ひとつしませんでした。
家に帰ってみたら、軒下の「欠け茶碗」は庭先で粉々に割れていた、というストーリーです。その「欠け茶碗」が夏目の災厄(妖に食われること)を引き受けて割れた、という訳です。
食器が粉々に割れることで厄が落ち、平安を手に入れたと思えば、もったいないどころか、むしろありがたいことではないでしょうか。
今度、もしも大切な食器を割ってしまったら、自分や誰かを責めないで、魔法のことばを唱えましょう。
スーイ スーイ ピンアン!
砕砕平安!歳々平安!
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