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女子高校生のコラム「走れ私」

 著書「小春のあしあと」の長江春子さんの知り合いの高校生が、コラムを書いてくれました。

 思春期のころのモヤモヤとした気持ちを、思い出しました。(いとう)

 

 走り続ける。次の信号まで。あの大きな木まで。


 私は暗闇の中、家の灯りと電信柱の灯りに照らされた真っ直ぐな道を、無我夢中で走り続けている。


 22時7分。塾の帰り、私は自分の家の最寄り駅よりひとつ手前の駅で降りた。


 高校生になったばかりの女子が真夜中に一人で歩いているなんて気が知れない。駅の時計で時間を確認し、深く息を吐いてから右足で地面を蹴り、走り始めた。


Q. なぜ、こんなことをしたのか?

A. とてつもなく走りたくなったからだ。


 そもそもなぜ、走りたいと思ったのだろう。最近太ってきたと思ったのか。それとも、走って走って走りまくって嫌なこと全て忘れたったのか。多分、どちらも当てはまる。

 とにかく、私はとてつもなく走りたいという衝動にかられていた。



 補導される時間まであと53分。

 たまにこうして学校の帰り道に一駅分歩くことはあったけれど、その時は本を読んだり、音楽を聞いたりして家に着くのに1時間くらいかかっていた。


 走れば補導される心配は無いのだが、帰りが遅くなり親に心配されて怒られることが恐ろしかった。

 私は、芥川龍之介の短篇小説『トロッコ』と似た状況にあった。いや、『走れメロス』の方かもしれない。友人を助けるために走るのか、自分が怒られないために走るのかという大きな違いはあるけれど。


 駅からひとつ目の信号までは「引き返した方がいいんじゃないか」とか「まだ間に合う」という気持ちが、心の隅でどうしても走りたがっている私の邪魔をした。

 けれど、足は前へ前へと進み続けて止まらない。私の心の核となる部分は揺るがなかった。


 次第に「ここまで来たからには進むしかない」と、吹っ切れたような気分とエネルギーが私の原動力となった。

 この気持ちの変化は良いことなのか、悪いことなのか、それはどちらとも言えない。それでも、ずっと悩まされていた課題が無くなったように、自分の中の障害物が無くなって良い気分だった。


 しばらくして、音楽が聞きたくなった。

 音楽を聞いて走ると、こんな事をイメージしてしまう。

 嫌なことがあって落ち込んでいるドラマの主人公が何かに心を動かされ、前向きになると同時に笑顔で走り始める、というシチュエーションだ。


 ちなみにこの場面は大体スローモーションである。

 早速イヤホンを付け、スマホで音楽を流し、走り始めた。

 けれど、私の走るスピードと高揚した気分に音楽のリズムが合わない。

 走りたい!もっと速く!もっともっと速く!という気持ちのスピードが、時速500km級に体を突き抜ける。


 そこで、NiziUの『Take a picture』を聞いた。「うん、これなら早く走れる」と思い、何様だという感じだが、今の私にふさわしい曲が決まった。

 サビに入った瞬間に第一歩を踏み出す。完全なるドラマ『走れ私』の主人公である。


 走っている間は、こん感じで常にプラスの感情で満たされていた。

 また一週間が始まってしまうことも、課題も、テストも、言葉では言い表せない思春期の不安も、一切考えなかった。

 家に着き、鏡を見ると、そこには血色の良い顔が、息を切らした自分が映っていた。


 この謎のエネルギーは次の週には無くなり、家の最寄り駅まで電車に乗って帰った。


 走ることが特別に好きという訳ではなかったが、1週間前のあの夜はとても気持ちが良かった。

 どうか、体力テストのシャトルランでもNiziUの音楽を流して欲しい。


   文&写真:川崎ほの(ペンネーム)


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