書籍「小春のあしあと」著者、長江春子さんのコラム「春の片隅で」


満開の桜を見て、涙が溢れたときも・・・


 1月上旬に沖縄からスタートする桜前線は、ゆっくり北上しながら5月中頃に北海道にゴールするそうです。「日本の春」の大移動ですね。


 私が好きなアニメ『ティンカーベル』の物語のように、まるで、自然の妖精がお花を咲かせながら、日本列島を飛んで縦断するかのよう。そう考えると「春がやってきた」という表現まで、生き生きとしてきます。


 昨春もこの春も、世の中は、満開の桜の下でレジャーシートを広げられる状況ではありませんでした。私も目の前がぱっと明るくなる、その一角を横目に散歩した程度。募るのは虚しさばかり。そして、あっという間にそれは散ってしまいました。


 「花見」ということばを知ったのは、日本に移り住みはじめた中学生の頃。近所の公園に桜が数本ありましたが、友だちもできなかった私には、花見の何が楽しいのか、さっぱり分かりませんでした。


 高校の頃は、満開の桜を見る度になぜか無性に涙が溢れてくるので、目を背けていました。それでも視覚の片隅に入ってくるので、あれは花ではなく、よく膨らんだポップコーンだ、と想像することにしていました。


 その名残で、今でも満開の桜を見るたびに「おいしそう!」と思ってしまう私。独りでクスクス笑えてきます。


 そんな私もいつの間に花見が楽しめるようになりました。

 桜祭りの人ごみの中、子らに串団子や綿あめを持たせ、夫と缶ビールを片手に練り歩く。大勢で夜桜を見ながらバーベキュー。来春こそはまたそんな花見ができるといいなあと願わずにはいられません。



ライフスタイルが変わって、新しい発見も


 仕事のほうは、昨春から完全リモートワークに切り替わってから、2回目の春を迎えました。満員電車での通勤から解放されてうれしい限りですが、体を動かさなくなった日々。溜息と体重がやたらと増えて困っています。下手すると何日もパジャマのままパソコンの前で過ごしていました。


 これではいけないと、何かと小さな用事を作り、仕事の合間にマスクをつけて町中に出かけるようにしました。郵便物を出したり、ATMでお金を下ろしたり、ドラッグ屋でシップを買ってきたり。


 今年の春。花見の余韻もすっかり消え去った頃、ランチ弁当を買いに出かけたら、新しくできたモールの前でひときわ大きな花房を付けた八重桜を1本発見しました。

 幹に掛かっているプレートには「楊貴妃」と書いてありました。「おう、この華やかさはまさしくふくよか美人の楊貴妃!」と納得しました。


 しばらくはちょくちょく見に行き、「楊貴妃」の咲き具合を見守りました。すると、隣の木も、その隣の木も咲き始めました。どれも八重桜のようですが、花房の大きさも色も違っていました。


 一本ずつ札を確認すると普賢象、一葉、関山と、聞いたこともない名前が書かれていました。さらに鬱金桜、御衣黄と書いた木をよく見てみたら、葉っぱとばかりに見過ごしていたものが、なんと緑色の花びらでした。


 そのあと、いつも散歩している公園の片隅で、季節外れの桜が数本、ひっそりと咲いていたのに気づきました。草茫々を分け入って、近くでよく見てみると、プレートには嵐山、駒繋、江戸、神代薄紅と書いてあり、またもや聞いたことも見たこともない桜ばかり。

 思わず花一輪一輪をじっくり観察し、色や形の違いを目に焼き付けながら堪能しました。


 これまで仕事や育児、家事に忙殺されてきた日常。コロナ禍でワークスタイルやルーティンが一変してしまいましたが、おかげで新しい発見もたくさんありました。


 その一つがスローライフのよさ。走り続けるその足をちょっと止めて、ただ漫然と眺めていた花の海から脇道に逸れてごらん。いつも気づかずに通り過ぎてきた片隅にこそ、心動かされる風景があることに気づくことでしょう。




長江春子(小春)


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