書籍「小春のあしあと」著者、長江春子さんのコラム「田植え体験!地に足を付ける」

田んぼの泥は気持ちいい
六月初旬の梅雨の合間。人生で初めて田んぼの手植えを体験する日です。
いつも出不精の夫まで、田植え祭りと聞いて、すんなりと誘いに乗ってくれました。高幡不動駅から浅川の遊歩道を通って、馬場寛明さんが経営する「TANBO NO WA」の田んぼに向かいます。河原の草はかなり背が伸びていて、初夏の風にサワサワと揺れていました。
出遅れた私たちが田んぼに着いた頃には、すでに十数人が一列に並んで植え始めていました。あとで交代してもらうのかなと思っていると、田んぼの反対側からも背中合わせに植えるというのです。さっそく、その列に入れてもらうことにしました。
裸足になり、七分丈のズボンの裾を膝上までまくり上げ、腕に日焼け防止のアームカバー、首に冷感タオル、頭に麦わら帽子という出で立ちの私。
覚悟して、いざ田んぼの中へ!
意外にも泥が柔らかく、ヒンヤリしていて、とても気持ちがいい!
それが最初の感触でした。

馬場さんともう一人が田んぼの両端から一本の紐をピーンと張ってくれました。その紐の向こう側に沿って、三十センチ間隔で、苗を人差し指と中指で挟んで泥の中に差し込み、少し周りの泥を寄せてあげる、そう教わりながら、おっかなびっくり植えていきました。
私の隣りの夫は慣れた手つきです。稲作が盛んなふるさとの風景を思い出しているのでしょう。
一列植え終えるたびに一歩後退して紐を張り直し、新たな列に植えていきます。徐々にほかの方も列に加わり、植えるスピードが増していきました。そばに浮かべたパレットから次々と苗が引き抜かれ、田んぼの中へ「お引越し」。反対側の列の「お尻」がどんどんこちらに近づいて来ました。
みんなの笑い声に、田んぼも苗も喜んでる
そのうち、馬場さんが田植え唄を唄い始めました。誰が言ったわけでもないのに、みんな自然と調子を合わせていたので、私も声に出してみました。
自然の恵に感謝し、田の神様に豊作を願い、みんなで一緒に今日という日を楽しむ、そんな「田植え祭り」の雰囲気が一気に高まりました。知らない人ばかりでも、何とも言えないこの一体感が楽しい!
なぜ稲作を共同作業でするのか、分かった気がしました。
それぞれ少しずつ自分の田んぼで単純作業を繰り返すよりは、みんなで集まって、今日はこちらの家の田んぼ、明日はそちらの田んぼと、いっしょに植えたほうが効率的ですし、楽しいからに違いありません。
そんな大人たちをよそに、子どもたちは用水路でザリガニや虫を捕って遊んでいました。もっと小さい子は、田植えするお母さんの足元の泥に全身を沈めてみたり、両手いっぱいに泥をすくってはお母さんの服にべたべた塗りたくっていました。
それを見たみんなは、咎めるどころか大笑い。そんな笑い声を聞いている田んぼも苗も喜んでいる、と馬場さんがおっしゃっていました。
田んぼの両サイドから真ん中に向けて、二つの列がついに「お尻合い」になり、「縁」をつないで、一枚目の田が終了。
「今植えたのは農林22号の苗です。次は緑米を植えます」
と馬場さんがおっしゃいました。
TANBO NO WAでは、様々な種類のお米の自然栽培をしていて、こうして希望者を募って気軽に体験させることも、馬場さんの経営方針の一つなのです。
泥から上がると、にわかに足がつり気味になりました。まだ水が冷たかったからでしょう。ほぐしつつ、二枚目の田に取りかかりました。
すると、ギターを片手にした男女のデュエットが畔(あぜ)に現われ、自作の「田んぼの音頭」を唄い始めました。そのゆるいノリにみんなの顔もニコニコ。
テントの中では、飲み物や食べ物を用意する方々も、忙しそうに手を動かしていました。ああ、用事さえなければこのまま夕方までずっと田んぼにいたいな、と後ろ髪を引かれながら、昼休憩を前に帰り支度。
せせらぎで泥足を洗っていると、子どもたちが捕えたザリガニの大きさを比べていました。写真を撮らせてとお願いすると、みんな快く応じてくれました。その屈託のなさに癒されました。

振る舞い酒を少しいただいてからの帰り道。浅川沿いの遊歩道を駅に向かって歩きながら、夫は田んぼで撮った写真を中国の田舎に送信し、ついでにお母さんと動画通話しました。コロナのせいでなかなか帰省できませんが、日本の田園風景に溶け込んだ私たちの元気な姿と弾んだ声を届けました。
わずか二時間の田植え体験でしたが、太ももの裏側の筋肉痛は数日続き、未だに足の爪に田んぼの泥が残っている気がします。
そして、楽しさの余韻が時々脳裏に蘇ってきます。今度は、あの稲の収穫にも行かせていただけることを楽しみにしています。

長江春子(小春)
★長江さんが担当しているプロジェクトのひとつ、多言語・多文化交流「パフォーマンス合宿」2021年夏プログラム(オンライン第4回)